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第34回 シルクロードへ(その8完)
ロマンと現実
9日ぶりにまた西安に戻ってきた。シルクロードとはいったいなんなのか、と静かに考えてみる。
私がシルクロードに惹かれた理由は、つまるところ、井上靖の『楼蘭』の冒頭の部分に尽きるような気がする。以下の文章から、物語が始まる。
<往古、西域(せいいき)に桜蘭(ろうらん)と呼ぶ小さい国があった。この楼蘭国が東洋史上にその名を現わして来るのは紀元前百二、三十年頃で、その名を史上から消してしまうのは同じく紀元前七十七年であるから、前後僅か五十年程の短い期間、この楼蘭国は東洋の歴史の上に存在していたことになる。いまから二千年程昔のことである。>(新潮文庫)
日本の歴史が始まる遥(はる)か以前のことだ。そこにロマンを感じない人はいないのではあるまいか。邪馬台国探しに熱中するのに共通している。
シルクロードとは単なる「物流の道」ではない。そこは2千年に及ぶ間、多くの民族が生き残るために戦いを繰り返し、多くの宗派が勢力争いをしてきた大地だ。土地の収奪、民族や部族間の争いも当然あった。しかしそれは、白地図の上に勢力図を描くような単純なものではない。過酷な気象条件の下(もと)に有って、地形の変化とともに歴史的な時間の流れが、重層的で立体的に絡み合い、もつれ合っている。
確かに西欧から多くの植物や動物、さらに文物や文化、習慣がシルクロードを経て中国に入り、日本へももたらされた。
ナチュラリスト、足田輝一の名著『シルクロードからの博物誌』(朝日選書)を読むと、古代から中世にかけて西域から中国にもたらされた植物には、「胡(えびす)」の字が付いたものが多い。例えば、胡桃(クルミ)、胡瓜(キュウリ)、胡麻(ゴマ)、胡椒(コショウ)などだ。中国では、大蒜(ニンニク)も、「胡蒜」と表記したようだ。
「胡」の字は、夷(えびす)と同義で、北方族や西方族を指した。別に「胡」の字が付かなくても、葡萄や紅花、柘榴(ザクロ)、サフラン、ジャスミン、巴旦杏(はたんきょう=アーモンド)、無花果(イチジク)、オリーブなども挙げられる。
植物だけではない。正倉院の御物や、万葉の遺跡など、日本文化の根幹となるものの大部分はシルクロード抜きには考えられないだろう。京都の祇園祭の函谷鉾(かんこくほこ)や鯉山(こいやま)の前掛の装飾にベルギーのゴブラン織りのタペストリーが用いられている。これは江戸時代初期に長崎の出島を経由して渡来したのだろうが、元をたどればシルクロードと無縁ではないはずだ。
もちろん、シルクロードを逆にたどって、日本から西欧へ渡っていった文物や文化もある。
そういえば、その昔に松本清張にシルクロードを題材とした小説を執筆してもらおうと考えたことがあった。
400年の伝統を持つ京都の有名な織物業「龍村美術織物」の二代目の長男、龍村仁氏がNHKを退職して、「シルクロード」に関するドキュメンタリーを作ろうとしていたか、或いは完成した頃だったと思う。この辺になると、記憶は少し朧(おぼろ)になる。
正倉院御物の葡萄唐草文(ぶどうからくさもん)の風呂敷か、忍冬唐草文(にんどうからくさもん)の文様を使った陶磁器などを鍵にして、現代のミステリーが出来ないかと考えたのである。忍冬は「すいかずら」だ。
あるいは、貴石のラピス・ラズリを使用したベルト(紺玉帯)から、小さな宝石や玉なども推理小説には格好の小道具になり得る。舞台はもちろん、シルクロードだ。
1971年に松本清張はベルギーのテーブルクロスを題材とした短編小説「葡萄草文様の刺繍」を「オール讀物」に発表した。80年に「葡萄唐草文様の刺繍」と改題して『火神被殺』(文春文庫)に収録されている。奈良薬師寺の金堂にある釈迦三尊像の台座に刻まれた模様そっくりのテーブルクロスを日本人夫妻の旅行者が、土産に買って帰り、殺人事件に巻き込まれる話だ。
話の小道具としては面白いのだが、ストーリーは、物足りない作品だった。もっとスケールを雄大に広げてもらいたい、と私は考えたのだ。
お宅にお邪魔して、趣旨を説明すると、「まあそのテーマで書けるのは、井上(靖)さんと、僕くらいしかいないね」と、満更でもない様子だった。
松本清張にとって、私の企画は興味のない話ではなかったと思う。この企画は、結局陽の目を見なかったが、その後、飛鳥時代にイランのゾロアスター教徒が日本に渡来していたという伝説をもとに朝日新聞に『火の回路(文藝春秋刊行時は「火の路」に改題)』を連載した。1973年のことだ。
ディズニーランド化した、西安の鐘楼を眺めながら、はるか40年も昔のことを思い出していた。もちろん、シルクロードの歴史を考えれば、瞬きにも満たない微少な時間である。しかしシルクロードは、いくら短くてもそのような昔のことに思いを馳せさせる不思議な魅力を湛えているのだ。
◇
水戸黄門の葵の紋の印籠ではないが、すべてにシルクロードといえば、平伏してしまうような威光がある。いうなれば、「シルクロード絶対神教(モノセイズム)」というべきものかもしれない。
明朝の上海行きの便に乗るという前夜、徳発長の餃子料理を食べた。100種類くらいあるというが、16種類が出た。一つずつ鴨、鶏、豚、海老など味と形が違う。中国では、本来餃子は「水餃子」で食べるが、何種類も食べるには、蒸すのが便利だ。
4階建ての大きなレストランだった。1階は、地元の人たちで賑い、2階以上は観光客用の個室になっている。外観は香港のアバディーンにある海上レストランを思い起こさせるような派手なネオンで飾られている。
西安市内の豪華絢爛たる街並みにある餐庁(レストラン)で食事を楽しむ人たちと、兵馬俑に向かう高速道路のガードレールのすぐ脇でスイカを並べている農家の人たちとの格差は何なのだろう。それを言えば、トルファンやカシュガルの砂漠で、観光客にすり寄ってきて小さな玉(ぎょく)ともいえない小石を売りつける子供たちの姿も忘れ難い。
現代のシルクロードは、ただ往古のロマンの感傷にふけっているだけでは済まない。中国が抱える大都市と地方の格差の現実を直視させられるのだ。それは、ひとり中国だけでなく、今や日本、アメリカやアフリカを含む全地球の問題でもあった。
(「シルクロードへ」終わり)
2011年11月30日水曜日
連載ネッセイ=NET ESSAY
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