






第42回 ネットのランキングに頼る風潮
― なぜ自分の判断よりも他人の評価を信用するのか
ネットによる人気飲食店情報サイトの「食べログ」で、「やらせ」というのか、「さくら」というのか、虚偽の「書き込み」を投稿して順位や評価を操作するのを商売にしている人がいた。
キリンビールの「のどごし<生>」のテレビコマーシャルで、スーパーマーケットを訪れた買い物客の若夫婦が、どれにするか迷って、「ネットの評価では……」と、京野ことみ扮する奥さんがケータイを取り出すと、ビール会社の営業担当課長、山口智充が、「そののどで評価してください」と自分ののどを指し示す。家に帰った若夫婦が、「なんで、今まで飲まなかったのだろう」と食卓で話し合っているのを聞いた山口が、「よっしゃ!」とこぶしを握り締める。
結局、自分の判断よりもネットの評価を重視している世相を痛切に切り取って、逆手に取っている。味覚の判断は人それぞれであって、「絶対的な基準」がないから、つい他人の評判に頼るのかもしれない。
だからなのだろうが、ネットに限らず、あらゆるところで、「評価アンケート」が氾濫している。アマゾンで古書を買えば、その扱い店の包装や配達方法に対して、評価が求められる。店は、「過去12か月で95%の高い評価」と自分の店の「売り」の資料にする。通販もしかりだ。フェイスブックでは、「いいね」にクリックしろと要求される。言葉で表現する必要はなく、手間もいらない。
ネット以外でも自動車販売店で定期点検を頼むと、従業員の応対について、「態度は良かったか」、とアンケートの葉書を渡される。担当の従業員の勤務評価につながるらしい。自動車保険の更新をしても、尋ねてくる。
所属している研究会の名簿を見たのだろうか、官庁の外郭団体が発行したPR誌が届く。そこにも、「今月号で良かった記事は」、とか、「面白くなかった記事は」などと聞いてくる。勝手に送りつけておいて、「良いか、悪いか」のアンケートもないものだ。
地域の文化ホールや新聞社が主催する展覧会や音楽会、落語会を聞きに行っても、必ずアンケート用紙を渡される。最近では、簡易鉛筆の筆記具まで付いている。費用も掛かるのにと思う。
電話による世論調査や商品調査もある。掛かってくるのは、大体が録音された機械だ。機械相手に、こちらが生の声で返事をしたり、プッシュホンの番号を押すのは、どこか滑稽だ。
大学では、学生による授業評価が行われている。「授業の説明はわかりやすいか」などと聞いている。学生の方に、「大学の授業を理解できる能力があるのか」、またそれ以前に「大学で学ぶ意欲があるのか」を大学の教員たちは聞きたいだろうに、それらは全く考慮されない。
確かに、誰が見ても疑問があり、学生に限らず同僚にも評判が悪い教員がいる。試験の採点が厳しく、なかなか及第点を与えない先生もいる。厳しいのは、良しとしても、採点の基準がわからないのが困る。当然、学生の評判は悪い。
しかし、それで講義が改善されたという話は聞いたことがない。大学の教員だって、自分のポリシーにのっとって講義し、採点しているのだから、いちいち学生の言い分を聞いてはいられない、ということだろう。
学生による評価が行きすぎると、学生の「ご機嫌」を伺いながら講義を進めることになってしまう。本末転倒というのは、こういうことを言うのだ。
露天の商いなどで、通じている仲間をお客の中に紛れ込ませ、タンカバイ(啖呵や口上を言って商品を売る商売)のそそのかし役やナキバイ(泣きごとを言って、万年筆や髭剃(ひげそ)りを売る商売)の「被害者役を演じる」仲間のことを「さくら」という。
語源は、芝居小屋で金をもらって役者の名前を大きな声で叫ぶ人を「さくら」と呼ぶことからという説もあるが、定かではない。
今回、問題となった「食べログ」では、いかにも「美味しそうな美辞麗句」を並べて、飲食店の評価を投稿するのだから、誰にでも出来るわけではなく、才能と技術を必要とする。
その昔に料理評論で知られ、某週刊誌に飲食店ガイドを数年間連載していた、敬愛する先輩がいた。 私は食事もよく一緒にして、情報も交換した。あるとき、「掲載したすべての店が、美味しいとは限らないし、たまには推薦したくない店もあったのではないですか」と尋ねたことがある。
「もちろんですよ。よく読んでいただければ、あまり美味しくない店だなと、わかるように書いているのですよ」
という言葉が返ってきたのを覚えている。これは、相当、難易度が高い技だ。
料理の評論や評価は書くのも難しいが、読むのも難しいのだ。
◎今週の箴言
眼光ネット裏に徹する
2012年2月1日水曜日
連載ネッセイ=NET ESSAY
愚者の説法 賢者のぼやき
