「その1 世界貿易センターに向かった」
世界貿易センターにいる。もちろんニューヨークではない。東京はJR浜松町の貿易センターだ。40階にある展望台に立っている。ここからは、「視界360° 地上152メートル」だという。エレベーターでそのまま上がる。ぼく一人。受付で料金を払い中央廻廊からまっすぐ進んで東京を眺める。東京の北側が広がっている。見下ろすと、左からJRの山手線に京浜東北線が流れている。その横を新幹線が走っていく。左をゆりかもめが線を描いて行く。窓辺にある二人用の椅子に腰をおろした。
火曜日の午後三時。朝の雨もやんでいる。そのせいか、見上げる空は一面澄んでいる。絶え間なく走る列車から、少し目線を上げると、新橋方向に高層ビル群がそびえている。日本テレビにパナソニック、共同通信のビルもみえる。その先には聖路加ガーデンだ。ふと思った。ガンを患い最期をそこで迎えた人たちの顔だった。
展望台を一周する。視界360°だ。東京の東側と向き合う。ビルに隠れるように隅田川がみえる。その先は東京湾で、晴海ふ頭が申し訳ないように湾に突き出ている。少し遅れてきた同行人がいう。
「あの遠くに見えるのは、東京デイズニーランドですよ」
霞んで見える。
手前の首都高速を車が列を作り、走っている。「ありがとう帰島5周年三宅島」の垂れ幕が見えた。日之出桟橋はもうすぐそこにある。浅草からの水上バスが桟橋に向かっている。乗客席は赤い(後で知るが竜馬という名前)。ここから水上バスで浅草に何度むかったことかしら。楽しい思いがあふれている。羽田空港がレインボーブリッジが見える。東京湾の展望ミニチュア模型があった。ボタンを押すと知りたい場所が点灯するやつだ。少し遊ぶ。お台場。ザ・トーキョー・タワーズ……。
「東京スカイツリーも見えますよ。先週の日曜日に見にいったんですが、すごい人出でした」
同行人である。
なぜここにたたずむことにしたのか。
ある日、本箱をのぞいていたら、一冊の文庫本が目に飛び込んできた。ひょいと手にする。稲垣史生『考証 江戸を歩く』(河出文庫。1991年12月初版)だった。単行本は、1988年時事通信社刊行とある。いつ買ったのか思い出せない。この本が、どうしてあったのかもわからない。著者の名前には、少しだけ愛着がある。といっても、会ったことは一度もない。あの杉浦日向子さんが、「江戸についての私の師匠」と話していたことが耳に残っていたからだ。ページを開いてみた。
始まりは、「世界貿易センター」。こう書き出されている。
「JR浜松町駅の傍、世界貿易センターの屋上には展望台がある。そこに展開する、東京湾と隅田川を眼下に見る壮観はあまり知られていない。爽秋の一日、私はその展望台に立ち、取材のためにこれから行く隅田川を俯瞰して正直なところ感動した」
筆者は隅田川流域の界隈をいく。左岸の本所、深川、向島と。江戸には縦横に掘割が走っていた。隅田川に沿った旧蹟を訪ねていく。
ぼくも隅田川を眼下に見る壮観に感動しようと思って、エレベーターで40階までやってきたわけだ。だが、感動することはなかった。隅田川の蛇行する水の流れが高層ビル群に遮断されている。河口だけははっきりと見えるが、隅田川が見えない。本の刊行は88年だ。おそらく、刊行元の時事通信が配信した連載記事だったのではないだろうか。そんなことを思った。自民党政府の構造改革で、国鉄が民営化され、地上げが横行し、放火もあった。高層ビルが次々に姿を現していた。東京は変わる。汐留周辺を某大手不動産が買い占めている。そんな噂を、事件記者としておいかけた。そんな時に企画され、一冊の本になったのだろう。だが、いまぼくの前の隅田川は切れ切れだ。
25年余経っている。バブルがあり、崩壊があり、規制緩和でビルはひたすら上に上に。東京駅周辺はもちろん、銀座からも新橋からも住民は消えていった。住む人がいない。日照権もすでに死語になっていた。89年だった。雑誌『思想の科学』で、特集「土地は誰のものか」(だったと思う。まあ、テーマはこれ)で、ぼくは、銀座の隣町・新富町から鉄砲洲周辺を歩き、ある一軒の銭湯が消えて行く姿をルポした。新潟から上京し、一代で築き上げた銭湯を手放すことになった話であった。銭湯のご主人は寡黙で、一言一言話してくれた。「……時代ですかね」。生きているかしら。そんなこと思いだした。
東京の西側に移動する。増上寺の青い樹木のほかはビルビルビルだ。まるで箱庭だ。東京タワーは、そこにもってこい。「自己増殖だね」。そんな言葉が浮かんできた。無限に続く自己増殖である。どこまでもどこまでも。無限であるだけに、どこかでさまように違いない。自己分裂の可能性も秘めている。東京は迷い道に入り、日本も混乱することだろう。それはいつか。そう思うと少しホッとする。今を見る目には、過去の目があり、未来の目もある。と、とりあえず、そう書いておこう。ぶらぶら東京のスタートである。ハッタリで挨拶もしておこう。
展望台を一周する。あきらかに不倫関係とわかる中年男女一組がいる。こちらも迷い道かな。とは口にはしない。その他、オバサン二人組とすれ違った。受付にいた係りの人にたずねてみる。平日、はとバスの一行が、昼過ぎに寄るだけですね、という。入場料は、大人、高校生は620円、中学生、小学生は360円、幼児260円。65歳以上は500円。年齢を言う前に500円です、とぼくは声をかけられた。
地上を歩くことにした。鳥の目ではなく虫になろう。そういうこと。稲垣さんは、その足で桟橋に向かい、浅草までの水上バスに乗り込む。ぼくらは満席とはいえない「お台場ライン」の水上バスを見送り、生ビールを飲む。一時間がすぎていた。
東京湾に出来るだけ沿うよう歩くことにした。海岸一丁目から同二丁目を行く。すれ違う人はいない。海風が強くなりなってくる。潮の匂いがなつかしい。トラックが行き来する。ぼくらはJR田町駅まで歩くことにした。
海岸通りに出る。運河が流れ橋が見えてきた。橋のたもとに「酒処」という赤い暖簾を見つけてしまった。まだ5時まえ。ガラス越しにのぞくと、店内に二つのテーブルがあり、奥のテーブルに白い髭のぼくとそう歳が違わない男の人が一人でビールをのんでいる。「いいですか」。気がつくと声をかけていた。店のマスターだという。「こちらにどうぞ」。その言葉に甘え、ぼくらは窓ぎわ、運河を背にすることができる奥のテーブルに、マスターに変わるように座った。開店まであと1時間あるという。それじゃあ、ビールだけで。スイマセン。
窓の外を見ると、運河の左側に高層マンションが存在感を示している。芝浦アイランズでSMAPがテレビで広告していました。同行人である。瓶ビールを運んできたマスターが、あのマンションを見ていると、どこが景気が悪いのかわかりませんね、とつぶやいた。店のカウンター奥の棚には焼酎のボトルが並んでいる。近所の住民が、帰りがけによく寄っていくという。遅い時で深夜の三時までやっている夜もあるそうだ。ぼくらは二本目のビールにした。
窓の下をのぞくとトタン屋根の平屋建があった。これで家賃いくらぐらいですかね、とたずねると、マスターからこんな話が帰ってきた。
二軒あるんですが、奥の家には住んでいる人がいます。手前は誰も住んでいません。おばあさんがだけど、お風呂で死んでいたんですよ。それから2、3日して発見されましてね。カウンターの止まり木に腰を下ろし話している。警察がきてね、大変でした。ええ、一人暮らしだったんです。それからは空家ですよ。見ると狭い庭には草が伸びほうだいだった。
「海岸」という名前の、この小さな居酒屋を後にする。仕事を終えた人たちが駅を目ざし、足早に行く。午後の6時になろうとしている。東京モノレールが見えてきた。